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2007年10月18日 (木)

視察を終えて

先ほど教育民生常任委員会の視察から戻り帰宅しました。今回の視察では、山口県山口市、萩市、島根県津和野町を3日間の日程で視察しました。それぞれの都市での視察内容については、別の機会に詳細に報告させていただきます。

さて、これまで12年間議員活動を続けている中で、国内外の多くの都市を視察する機会に恵まれました。しかし、最近では、地方議会の在り方が問われ、政務調査費と同様に視察についても批判する声が聞こえてきます。

これは、視察が本来の目的から外れているという指摘であり、視察不要論にまで発展する議論がありますが、視察本来の意義がよく理解されずに行われているところに問題があると思います。しばしば行政や議会そのものに対する批判もこのような議論と同じようにされることがある事は、非常に残念な事です。

今回の視察先では、江戸末期から明治にかけて歴史の表舞台に登場した長州藩の歴史にも触れる事ができ、その中で視察の意義について考える機会を得ました。

歴史的な話をすると、欧米列強の圧力が強まってきた江戸末期、幕府そのものの力も弱まり、国家の危機にあったことは知られていることです。そのころ、古くから教育に力を注いできた長州藩では、国家の危機に新しい国づくりの必要性を議論し、いわゆる改革の行動を行っていった歴史が存在したのです。

藩の財政も厳しい中で、鉄砲などを買うお金を流用して、若者数人を当時世界の覇権を握っていたイギリスへ留学させています。当時の時代から、当然国外へ出る事は許されず、ましてやそれを藩が行うなど考えられない時代背景です。しかし、国家の実情を憂い、人材を育てる事に徹したその姿勢は現在間違いなく賛意が得られていることです。

この長州藩の後押しで留学した人物が、その後各界において頭角を現し、日本の近代化に大きな貢献をしたことが知られています。また、倒幕運動に同じように加わった薩摩藩でも、同じように海外への留学を後押ししており、当時国内で得る事が出来なかった技術や文化を直接人材を派遣することで得ようとした努力が伺えます。

今回訪れた旧長州藩の江戸末期から明治にかけての人材育成について、いま私たちが行っている視察の意義とを結びつけるには若干の無理があるものとも思いますが、行政視察を行う意義の根底とは確実に結びつくものと考えます。

成田市議会では、常任委員会、特別委員会、議会運営委員会でそれぞれ毎年視察を行い、さらに任期中1度海外視察の機会が与えられます。

これらの視察を行う上で、今回視察て感じた視察の有効性について常にその目的意識を持って今後も行動していきたいと思います。そして、それが地域の発展につながりその延長上で国づくりにも貢献できるように、視察によって得られた経験や体験、知識を議会活動に結び付けていきたいと思います。

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