今日は、午後4時から「活力ある国際空港都市づくりシンポジウム」と題したシンポジウムが成田市役所で開催されました。
既に周辺の自治体でも開催され、今回成田市での開催となりました。参加者はおおよそ300人程度であったと思います。
今日の内容を一参加者として聞いていましたが、幾つか疑問な点もありました。
まず1つは、更なる合併の推進と空港そのものの拡充整備の関係です。
合併を推進することで、この地域が更に大きな発展を目指せるというのが主催者の考え方ですが、これに対しては真っ向から反対するものではありません。むしろ、成田地域の将来を考えた場合、下総・大栄との合併後2年しか経ていませんが、更なる合併議論の必要性を認識しています。
しかし、成田空港の置かれている現状、最近の危機感などから始まっている、空港そのものの処理能力の拡大や空港の施設整備については、合併そのものと直接議論として結び付けるには無理があるように感じました。空港の設置者や運営会社の方針によるところが大きいからです。
この地域の将来を考えた場合、議論して行動すべきは、優先順位として空港のあり方ではないでしょうか。ただし、それは当然成田だけで議論できるものではありませんので、周辺自治体との連携が必要であることは言うまでもありません。そこで最終的な自治体のあり方として合併という機運が高まる可能性はあると思います。特に芝山町や富里市との連携は成田市としも最も重要な関係であると考えています。
さて、今日のシンポジウムで元成田市長が、平成15年3月議会での合併協議会設置議案が市議会によって否決され、提案者としての責任を取って市長を辞任した事を説明していました。
その中で、市議会の反対意見としては、「成田市の財政力が低下するという理由であった」とありましたが、当時議案に対して反対して今日の会場にいた私としては、否決の理由の説明があまりにも簡単であったことを残念に思いました。
そもそも平成8年以降、地方分権の流れに沿って合併という選択肢を成田市としてどのように扱うのか、議論の必要性を市議会で訴えてきましたが、全くそれに着手しなかったのは元市長であったのです。
そして、平成14年の9月議会、私は「不作為の不利益」を防ぐ意味でも、一般質問において市民に対して情報を提供し、合併論議を促す必要性を訴えました。なぜならその時点で既に成田市としては「自主的な機運の情勢を待って慎重に対応する」という方針を公式に打ち出していたからです。
ところが、この議論からほんの僅かな期間に、当時の成田市は市民に対してほとんど情報も提供しないまま大合併構想に動き出し、構成市町村も何度も変わるという、理解できない政策の大転換が行われました。
その後、成田市の提案に対して多くの自治体が合併に前向きである意向を表向きは示しましたが、成田市の思いをよそに、他の自治体ではそれぞれの利益を如何に確保するかなど、様々な思惑も見え隠れしていました。私はそのような状況下において、かつ前準備もほとんど無い中での法定の合併協議会設置は危険であるという判断がありました。
また、成田市においても真の合併議論を進めるためには、「とりあえず11市町村で合併協議会を設置して前に進みたい」というような考え方であったため、合併特例法の期限内に理想的かつ実現可能な合併を目指すためには、白紙に戻す必要性を感じていたのです。これはあくまでも合併の推進すえ為の判断であって、決して単純に成田市の財政力の問題だけに固執した思いなどは無かったのが事実です。
当時の反対、賛成、議員それぞれの意見は様々ですが、今日のシンポジウムで言うような単純な議論として市議会が扱ったという思いは全くありません。
過去の経緯について長くなってしまいましたが、今後のこの地域のあり方として、合併の議論の必要性を私も認識しています。過去に成田市議会が否決したことがこの地域の大きな誤りであったというような説明は、受け入れがたいものがありました。
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