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2008年9月12日 (金)

風化する三里塚闘争の歴史

委員会日程に入って初日の今日は、午後2時から空港対策特別委員会が開催されました。

今日の主な議題は、航空機の騒音測定結果でしたが、その後所管事務調査に入り私も2点について質問しました。

1点は、「A滑走路の全面使用時期とその影響について」、もう1点が「NAA(空港会社)の三里塚社宅廃止と独身寮の今後について」です。

一般的に成田空港のA滑走路は4000mと知られていますが、実は南側(芝山側)から着陸する場合、実際には3250mしか利用できず、着陸地点は滑走路南端からかなり北側にずれています。これは航空写真等で滑走路を南北対称に見た場合、南側の着陸によるタイヤの跡がかなり南端から離れていることが判ります。

この問題に対して、今年に入り問題解決の見通しが立ち、本来の4000m滑走路として使用できることになるとの報道がありました。

この件に対して、NAAからは具体的な情報を得ることが出来ませんでしたが、これによって南側から進入する飛行機の高度が下がり、逆噴射の騒音が出る位置も大きく変わります。

私の居住している三里塚地区にとっとは、大きな関心事ですので今日の質問となりました。NAAに対しては、今後事前に情報の提供を行ってもらいたい旨の要望をさせてもらいました。

もう1点もNAAとの質疑のやり取りとなりましたが、既に三里塚住宅(NAAの社宅)が廃止されることと、独身寮も他地域に移る計画が進められています。

これに対して、過去に現在の住宅と独身寮が建設された経緯や、NAAとしての騒音地域に対する配慮からすると、現在と同じようにせめて独身寮はNAAの新入社員等の研修の意味も含めて2,3年間、騒音下に居住するといったこともあって良いのではないかと意見を述べました。

最近特に思うのは、三里塚闘争も最後の激しい衝突から四半世紀を経過し、NAA職員の多くが実際の闘争の現場を知らないのではないかという事です。また、開港当時、三里塚地域に職員を居住させるという地域との繋がりを重視した考え方も、風化してきているように思います。何しろ独身寮の候補地は公津の杜との事ですから。あくまでも噂ですが。

時代が変わり、成田空港も新しいステージへ向けて変わっていかなければなりません。しかし、完全民営化を控えた今、更なる発展を目指すには、過去の歴史を忘れ去るのではなく、地域との結びつきをこれまで以上に大事にする意識が必要になっているのではないでしょうか。

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