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2009年3月13日 (金)

成田の交通の歴史

20090313141608 今日は会派の行事として、視察と市内の清掃作業がありましたが、事務局長を務めるユネスコ協会の研修会と理事会のため、午後から中央公民館で過ごしました。

今日のユネスコ研修会は、成田市文化財保護協会会長の小倉 博氏を講師に迎えて、「成田の交通の歴史」についてというものでした。

特に成田の交通の中でも”鉄道”に視点をあてた内容で、参加者誰もがふるさと成田の歴史を約2時間、興味深く聞かせていただきました。

内容では、

  • 成田山門前と宗吾霊堂を結んだ成宗電車は千葉県内で最初の電車であったこと
  • この電車を走らせるために造られた発電所のお陰で、千葉市に次いで県内では2番目に電灯が灯されたこと
  • 明治35年には我孫子ー成田間で日本で2番目となる喫茶室が設けられた列車が運行されたこと

等、成田という土地が成田山新勝寺を中心に鉄道網が発達してきた歴史を含めて興味深いものばかりでした。

明治42年には、京成と成田山新勝寺の間で

  • 成田山の信徒等が乗車する祭には割引をする
  • 成田駅設置については成田山と協議する

という覚書も存在していたとの事でした。

その他にも、県営としては日本で発の千葉県営鉄道、いわゆる軽便鉄道の歴史にも触れていただきました。

この鉄道は、今のJR成田から三里塚まで結ばれ、その後三里塚から多古、三里塚から八街へと結ばれた鉄道で、戦時中の供出のため昭和19年1月10日に敗戦となり、インドネシアに輸送中、輸送船が攻撃によって沈没させられてしまったと言う歴史を持ちます。

実はこの軽便鉄道の車両が私の家にあったことを今でも覚えています。

子供の頃はすでに単なる倉庫として使われていましたので、私の遊び場ともなっていましたが、今思うと貴重なもので、「まだ残っていれば・・・」と残念な気持ちになったところです。

まだまだふるさと成田の歴史について、勉強すべきことがあると言う思いも実感した今日の研修会です。

ちなみにユネスコの研修会を終えた後、会派の行事に合流し、私の地域の歴史の1つであるジンギスカンに舌鼓を打ちました。

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